デジモンインフルエンス

第1話「一つ星」


 ディスプレイのついた小型の通信機、ポケベルや携帯電話といったものが一番近い形なのだろう。
 それが垂直に空中に浮き上がり、重力に従い下の方向へと沈む。それを繰り返す。



 広がる青い空。
 ポカンと浮かぶひとつの白い雲がこの世界を眺めている。
 校庭では各運動系の部活動が盛んに行われていた。
 ノック打ちをする野球部に、ボールを転がすサッカー部員。
 校門へと向かう道には下校する生徒たちが列を作っている。
 うつむきながら一人でとぼとぼ下校する者。ゲラゲラと騒がしい笑いをたて、バカみたいに騒いでいる集団。幸せそうに手をつなぐカップル。



 爽やかな天気とは打って変わり、長年の汚れで灰色にくすんだ部室棟の“陸上部”と書かれた一室。
 壁には数々の賞状や写真などがなどが飾られているが、それとは正反対に部室そのものは資料やジャージやシューズなどが散乱し、空き巣にでも入られたような有様になっている。

 その部室の中央に設置された長机に上に両足を組んでドカンと乗せ、パイプイスが壊れるのではないかというくらい傾かせ座っている少年がいた。
 襟足だけが金髪に染められたウルフカットがひと際目を引く。

 サイズが大きい学ランのボタンは全部開け、シャツを出し、腰履きをしている。目つきは生まれつきなのか、強烈に悪い。その少年の名は──
 遊佐 狼一 (ゆさ ろういち)中学三年の十四歳だ。

「俺ぜってぇ鬱病だわマジで」

 なにもかも疲れきったような顔で呟きながら、手に持った携帯機を上に投げ、キャッチするという動作を繰り返していた。

「いや、それ本当に鬱病の人に失礼だぞ狼一」

 呆れた顔でツッコミで入れたもう一人の少年がその部屋にいた。
 顔はいわゆる美少年と言われる類に入るだろう。茶髪に染めた髪は全体に長い。
 学ランのボタンは狼一動揺全部開け、その下には本来あるはずの白いYシャツはなく、赤いTシャツが代わりにその箇所にあった。2人ともその学校の制服としての機能を果たしているのかわからない着こなし方である。
 その美少年の名は、黒木 真 (くろき しん)中学三年の十五歳。

「それにだいたい中坊に鬱なんてまだはやいだろあんなの仕事に疲れたおっさんや友達がいなくて引きこもってるやつがなんの! それにそんな状態なんだったら汗水たらしてスポーツ! てのも悪かないと思うぜ?お前、陸上部なんだし?」

 真の言葉は妙に自信を感じさせる力強いものだった。
 狼一の所属しているこの陸上部。
 過去は厳しい先輩にしごかれる――まさに肉体系という部活だったのだが、先輩の引退を引き金に、激しいリバウンドを起こした。
 狼一の代の部員は怠け始め、最終的に部長という肩書きを持つ狼一のみが辞めるに辞められず最後の三年生部員一名として残っている状態だ。
 しかし、そんな先輩を見かねたのか、現在の一、二年生は活発的に活動し、一人は関東大会にまで足を走らせた者がいるというのはなんとも皮肉なものであった。

「こんな部活もうやってらんねえよ。そんな事言うならお前もサッカーやれよ、サッカー部なんだし」

「いや、俺は第一に鬱じゃねえし、やっぱ今の時代汗水たらすのなんて俺はそこまでかっこいいとは思わないね! 今の時代バンドでしょバンド! ギターだけが俺の恋人さっ。ラブ&ピース」

 真はギターを弾いてるジェスチャーをしながら言った。
 彼の所属するサッカー部は特にこれといった障害はなく、県でもそれなりの知名度ある部活だ。
 その中でも真はそこそこの腕前があり、決してサッカー部がこの時間に汗水垂らして練習に勤しんでいる最中にこんな陸上部の寂れた部室で埋もれていい人材ではない。

 事の原因は中学二年の夏に初めて聞いた洋楽のロックミュージックに衝撃を受けた事にある。
 その後、真はギターを始め、サッカーへ情熱を注げなくなった。
 ただこれだけの理由である。
 恐らく大抵の人は愚かだと思うだろう。
 真はギターを初めてから狼一とこの話になると――

「なぁ狼一!バンドやろうぜ!」

 ――が口癖のようになっている。

「だからぁ俺はバンドやるほどロックは好きじゃねぇんだよ」

 という光景も同時に繰り返されていた。
 ちなみに現在の真のバンドのメンバーはギターが一人――のみ。
 つまり、真はまだバンドの演奏というものをした事がない。

「ところでさ、お前がさっきからいじってるそれなに?」

 真が狼一がさっきら上に投げてはキャッチするという仕草を繰り返していた、携帯機を指さして言った。

「あぁこれか? 今日そこの本棚の隙間からなんかチラッと光ったのが見えてよ。取り出してみたらコレがでてきたんよ。どうせOBか誰かがそのままおきっぱにしてたやつだろ……」

 狼一は陸上の雑誌が大量に積まれている本棚を指さし、その携帯機を真に見せる。

「ポケベルか〜! 誰がおいてったんだろうな」

「そうだよなぁ……ポケベルってもう古い過去の産物だよなぁ。今は携帯でメールもできるし、最近ではカメラまでついてるらしいじゃねぇか」

 狼一は手にもったポケベルを見つめる。

「急にどうした狼一ぃ、いやまぁ世の中が便利になっていけばそれに越した事はないと思うぞ?」

「でもさぁ化学が幾ら発達しても、本当に不思議な事――ってのは逆に増えてる気がしないか?」

「ええ? 狼一、なんか話がどうこうの前に日本語おかしいぞ? 科学でもわからない事ってなんだ? 宇宙の事とかか? 哲学は嫌いじゃないぜ」

 狼一の話は真に軽くあしらわれる。
 狼一はそういうことじゃなくて――と言いかけたがやめた。

「今日はもう帰るぜ」

 狼一が立ち上がると、丁度よく先ほど狼一が携帯機を取り出した本棚から、陸上雑誌のバックナンバーの一冊が落ちてきて、ゴトンと狼一の頭に直撃した。恐らくポケベルを取り出し不安定な状態になっていたのだろう。

「――っ!」

 その姿を見た真は腹を抱え、爆笑。
 狼一は声にならない声をだし、その本棚を思い切り膝のスナップを利かせて蹴る。
 本棚からはもう読まれることのないだろうバックナンバーが一斉に倒れ床を埋め尽くす。
 当然この始末は真面目な陸上部員生徒によって片づけられる。
 満足したのか、狼一は部室を後にする。  彼を追った真は後ろを振り返り、雑誌が散乱したその光景に、ありゃまと言った感じの表情を浮かべ部室を出た





 帰路についた狼一は無言で、玄関に靴を脱ぎ捨て、階段を上る。
 すると上から七三に整えられた髪型に眼鏡。という狼一とは似ても似つかぬ兄が降りてきた。
 二人は何かをお互い言う事もなく、目も合わせない。
 まるでないものとして認識しているように無言ですれ違った。
 狼一の兄は、高校三年生、いつからか狼一と兄の関係は悪くなっていた。勉強が出来る兄は狼一のように、特に勉強もしている用には見えない弟を持ち、あまり良く思っていないようである。
 いつからか、この二人の会話という機能は必要最低限の事しか使われなくなっていた。
 狼一は部屋に入るなり、ベッドに身を倒す。  その衝撃でポケットに入れていたあの携帯機が体に当たり、狼一は机の上に放り投げた。
 危うく傍のノートPCにぶつかるところだったが構いはしなかった。
 狼一の家庭は、兄の他にも大学に通う姉がおり、そのパソコンは姉から狼一が譲り受けたお古だ。
 ちなみに、姉との関係は良し悪しもなく、彼女は現在大学の近くに一人暮らしをしている。
 狼一の家庭は特に不幸があるわけもなく、兄との険悪な関係以外は何不自由がない。
 しかし、狼一はこの家があまり好きだと感じた事はなかった。
 いや、この家が好きではない。
 というのではなく、この人生に面白さを感じていなくなってしまっているのかもしれない。



 窓の外の夕陽が、狼一の部屋をオレンジ色に染め始める。
 狼一はいつのまにか、ベッドの上で瞼を閉じていた。
 寝ている彼には関係なく、部屋の色はみるみるオレンジから黒に色を変え、夜になる。
 すると突如、電源を消していたはずのパソコンのディスプレイが付き、さきほど投げた携帯機も輝き始め、暗くなった部屋を照らしては、また消えた。



「ん、寝てたか……」

 その数時間後に、狼一は目覚めた。
 真暗になった部屋を見て、時計を見る間もなく夜中になっているだろうと察した。
 狼一がベッドから降りて電気をつけようと歩こうとした瞬間。  何かにつまづき、ずっこけた。
「痛っ」  思わず声をあげた狼一は、その躓いたものをゴミ箱だと憶測し毎度お馴染みの蹴りをお見舞いした。

「痛っ」

 ゴミ箱が喋った。

 俺はまだ夢の中にいるのだろうか。
 狼一は自分の頬を抓るというベタな行為をしてみたが、確かな痛みを感じた。
 とりあえず、またそこにあったゴミ箱を叩いてみる。

「痛っ痛いぞ!」

 明らかにそれは喋っている。
 狼一は電気をつけ、万が一のためにファイティングポーズをとった。

「…………………!?」

 狼一は驚き、目をまんまると広げた。
 部屋が明るくなり狼一の目に写しだされたのはゴミ箱なんかではなく――  ――見た事もない生物だった。



 でかい蛙や蜥蜴といった、爬虫類の類に入ると思われる外見。口は噛まれたら無事じゃ済まないような歯が揃ったものであり、全身は灰色である。大トカゲ、もしくは恐竜の子供。といった表現が一番合うだろう。

「お前……一体なんなんだ?」

 なにやらキョロキョロと辺りを見回しているその生物に、狼一は恐る恐る訊いてみた。

「ワシか? ワシはアグモンだ」

 普通に聞いたらツッコミ所満載の発言なのだが、今の狼一にとっては、そんなツッコミよりまずこの状況を把握する事のほうが先だと判断した。

「え〜と……つまりお前はアグモンという生物なんだな?」

「いや、ワシはデジタル・モンスターという生物で、固体名はアグモンだ。」

 狼一の頭がフル回転して今の発言を解析する。つまり例をとると――"人間"という生物の中の"遊佐狼一”という事だな。

「OK。んで、デジタルモンスターとは何なんだ? お前は一体どこらから来て何をしに、俺の部屋にいるんだ。」
「ワシはデジタルワールドから来た、なぜここにいるかはわからない。記憶がない」

「はぁ? 記憶がない? デジタルワールドっつーのは一体なんだ」

 アグモンは急に横を向く。
 狼一は一瞬そっぽを向かれたのかと思いきや、アグモンの視線は電源をつけたままのパソソンに向けられたいた。

「ワシもよくわからない、データが集まった世界。そこにワシ達デジタルモンスター通称デジモンもいる。お前みたいな人間もいるぞ」

 パソコンの中だと?人間もいるだと?宇宙人や地底人といった具合に、まだ世には認知されていない世界が、人間の作り出したパソコンの中に存在しているだと。
 デジモンとかいう生物や、ましてや人間までいるのか?狼一は、狭い視野を捨てた。

「なるほど……お、大まかにはわかったぜ。でもお前、そこまで覚えておきながら、なぜここにいるのがわからないのか?」

「わからない。ワシがデジモンで、アグモンである――のは確かだが、ワシが今までどんな事していたのか、どこで生まれたのか。全て思いだせない。しかし――」

 アグモンは再び横を向く。部室で拾ったあの携帯機を見ている。

「デジモンは人間とパートナーを組む事によって強大な力を得る事ができる。それ故デジタルワールドに住む人間は必ずパートナーがいた。そしてそれ、デジヴァイスと呼ばれるものがパートナーの証だ。という事は覚えている……つまり、これがここにあるという事はお前はワシのパートナーであるという事。だからワシはここにいる……という事になるな。」

 そこまで覚えていてなぜ自分の事を覚えていないのか。
 不思議でしょうがない。
 が、狼一はその生物がデジヴァイスと呼んだ“それ”は、拾ったやつだから。とは言えなかった。

 狼一はそんなにすごいものなのかと、デジヴァイスを手にとってみると画面に文字が表示されていた。

【agumon 成長期 種族???】

 成長期ってこいつはこんな喋り方なのにまだ子供なのか? それに種族"???"ってこいつはどこまで謎なやつなんだ。
 狼一は心の中でツッコミができるほどに落ち着いてきた。

「よし! わかった! パートナーとしてお前の記憶が戻るまで俺が面倒みてやるよ!」

「む、そうしてくれるとありがたい」

 使える。
 狼一はこのデジモンという生物にただならぬ可能性を感じていた。
 こいつを利用してやれば、面白くなりそうだ。退屈な人生ともこれでお別れできると踏んだ。

「しかしお前をどこかに隠しておくスペースなんてないよなぁ……」

 そこが悩み所だった。
 狼一はおもむろにデジヴァイスのボタンをいじくってみる。
 するとデジヴァイスから眩い光が放たれ、目を開けたらアグモンの姿はなくなっていた。
 お、おい!マジかよ!まさかもうデジタルワールドとやらに帰ってしまったのか!?と狼一が思った矢先、どこからかアグモンの声が聞こえる。

「お〜い! だせ〜!」

 その声の発生場所は自分の持つデジヴァイスだった。
 狼一がデジヴァイスを除くとアグモンが中から画面を叩いている。
 なるほど。
 この中に収納できるようになっているのか。こいつはつくづく使えると狼一はニヤけながら再びデジヴァイスのボタンを押すとまた光とともにアグモンがでてきた。

「どうなってるんだこれはいったい!」

「いやな、アグモン、ここは人間界だ。デジモンとかいう生物が人目にバレるとお前の立場がいろいろと危険になるんだよ。というわけでお前は基本俺と二人の以外はこれに入っててくれ……」

「むぅ……そういう事ならば仕方ないかの」

「何はともあれこれからよろしくな、アグモン」

 そう言い、狼一はアグモンのゴツゴツした手を掴み握手をした。

「なんじゃ、これは?」

「友達の証だぜ!」

 その狼一の笑顔は期待と悪意でできていた。
 ――しかし彼はまだ、これから自分の人生が大きく変わっていく事を知るよしもなかった。









続く。
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