デジモンインフルエンス

第3話「UpDate」


 遊佐狼一の通う中学校は、一学年の人数は三百を優に超え、総学生数、千人以上という市立中学校としては県でもトップクラスの巨大さを誇っていた。通学時間にもなると楽ランとセーラー服で真っ黒になる、文字通り長蛇の列は学校の昇降口に頭を突っ込んでいる。 
 市立、慶応中学校。これが狼一の通う中学校名だ。

「なぁ、やっぱ警察に言ったほうがいいんじゃないのか?」

 生徒達の大量の靴などでなんともいえない異臭が漂った下駄箱で真が言う。

「まぁたしかに昨日のは少しビビっけど、こんな面白いモン警察に渡しちまうのはもったいねぇよ」

 狼一はハイカットの真っ白なシューズを下駄箱の中に着陸させ、踵を踏みつぶしてスリッパのようになった上履きを履き、一階にある教室に向かう。
 廊下を行き来したり駄弁をしている者たちで溢れ返った廊下を気だるそうに潜り抜けながら。

「それに──」 
 疑問符を浮かべた真は、狼一の顔を覗く。
「“デジモン"の存在なんてアイツ等に見えない以上、なに言っても信じねぇよ」
 
 異系の存在であるデジモンはこの世界ではどこまでもイレギュラーであった。
 ゴルフクラブを振り回して罵声を飛ばしてきた親父にはアグモンの姿は見えていなかったし。
 それを不審に思った狼一はあの後、駅前の人ごみで試しにアグモンを連れて歩いてみたのだが、誰一人としてアグモンの存在に気付く様子はなかった。 
 真は太古の恐竜の幽霊が狼一に取りついたんだとか騒いでいたのだが狼一はそんな異系の存在もただ面白いものとし、気にする様子はなかった。



 放課後、陽が暮れ始めた頃に狼一は、近所で一番の規模を誇る慶応公園に足を運んだ。
 公園。といっても遊具や砂場が設置されているだけの公園と違い、市民プールやテニスコートも設けられており、敷地の中には、というより敷地に面して木々が広がる森があるような、ばかでかい公園だ。
 森は内部を一周出来る散歩コースも設けられているが、広さが広さなだけあり、一周散歩するのに一時間は時間を費やすだろう。
 この場所は所々ベンチや電灯はあるものの、今のような空が暗くなってくる時間には人気も少なく、もし人がいたとしても気付けないほどに暗く、不気味で閑散としていた。
 狼一はこの森の最深部まで三十分ほど歩き、先日はメラモンの出現により中途半端になってしまったアグモンの身体能力を再び計測しようと訪れたのである。
 デジヴァイスを取り出し、アグモンをリロードさせる。
 光とともにアグモンが画面の中なから飛び出し狼一の前に現れた。

「なんじゃ、またえらく自然が生い茂ってる場所じゃなー。なんだか懐かしい感じもするけど」

 アグモンの故郷、デジタルワールドはこういった人間が開拓する前の土地のような、自然溢れる場所なのかもしれないな。と狼一は未知すぎる異世界の事が想像し、少しだけ思いを馳せた。
 森といっても全面にみっちり木が敷き詰められるように生えてあるわけでもなく、行事利用できるように、木々の間に空き空間が幾つか存在し、その広場に狼一とアグモンは陣を取った。

「よーし、まずは昨日のアレ、ベビーフレイム……? だっけ、あれを出してみろ」

 燃えるから木には当てるなよ。そう狼一は前置きをいれ、アグモンのプチ生体実験が始まった。



 陽がおち、あたりがすっかり暗くなったころ、一通りの実験が終わり、アグモンをデジヴァイスに収納し、腰に備えつけた
。  狼一は近くの地べたに座りこみながら、アグモンの力がどのくらいかを改めて考えていた。
 一見強力そうに見えても、やはりこの図体の小ささも踏まえ、平均的な強さは成人男性以上、格闘家未満といったところであった。
炎を吐くという付加価値はでかいが、先日のようなアグモンと同じく異型の者には決してあまり効果を発揮しない。
 以上ように狼一はアグモンの生態についてまとめた。



「……?」

 帰り支度をしている頃、狼一はふと辺りの状況を観察すると、ある違和感に気がついた。
 木々が徐々にざわめき始めている。
 最初は風だと思って気にも止めなかったが、様子がおかしい。
 風自体は狼一が肌で少し感じるくらい微々たるものなのだが、台風が来たのかと思う程に木々は揺れており、枝が折れる音までもが聞こえて来る。
 まるでなにかデカいもの――  が、その狭い木々を縫うように歩いていて今にこっちに近づいてくるような気がした。
 そんな狼一の予感は次の瞬間現実のものとなり、背筋を凍らせた。
 死角に入っていた異系の者、その正体が顔を出した。
 ゴリラだ。
 祝日などにたまに、ここの公園にはポニーや山羊、兎、小鳥などと共にプチ動物園がやってくる時がある。
 そこに来ていたゴリラが抜け出したのであろうか。
 狼一のそんな馬鹿げた現実逃避を許さないほどに、そのゴリラはゴリラであってゴリラではなかった。
 四、五メートルはあろうその馬鹿でかい図体に、一般的には黒色であるはずの毛並みが白色で埋めつくされている。
 更にその白いゴリラを非現実的なゴリラであると決定付けられるのが、その左手があるはずの部位には、腕と同化するようにメタリックに施された大砲が備え付けられている。
 間違いなくこの世界では異系の者──デジタル・モンスターである。
 目の前の異形に反応するように、デジヴァイスから甲高い電子音が来る。
 その音につられるように画面を見ると、ゴリラを指した名前が表示されている。

 【gorimon(ゴリモン)】

「もうちょっと名前ひねってやれよ!?」

 成熟期 データ種。と続いた文面を確認した後、狼一は咄嗟に近くにあった木の裏に身を潜め、ゴリモンの様子を伺う。
 先日とは違い、こちらに攻撃してくることはない。
 否、狼一に気づいていないだけで、ゴリモンは狼一を探すようにあたりを見回している。

「なんじゃ、デジモンかの?」

デジヴァイスの中にいるアグモンがそのゴリモンの様子に反応した。

「あぁ、そうみたいだな」
「ワシの出番か」
「いや、ちょっと待て」

 狼一はメラモンに付けられた火傷の跡を押さえながら考える。
 あいつは炎の巨人で、近くにたまたま消火用の水があったから倒せたまでの話だ。
 しかし、いま目の前にいるのはただの巨大ゴリラではない、兵器を持った巨大ゴリラなのだ。
 そんな奴を相手にして、たかが大蜥蜴止まりのアグモンに倒せる相手だろうか?

「答えはノーだ」 

 アグモンは到底、ゴリモンを相手にして勝てそうにはない。

 そこで狼一は考えを改めた。
 ゴリモンがこちらに気付いた様子はまだない。
 ならば、いまここでトンズラすれば、あるいは逃げ切ることが可能なのではないか。
 それに、ゴリモンが狼一を追おうが追うまいが、そこには被害が生まれるはずだ。
 デジタル・モンスターが一般人に見えてるかどうかなんてあやしいものだが、破壊があれば警察や自衛隊が事態の沈静化に動き出すだろう。

 狼一はゴリモンに背を向け一気に立ち去ろうとする。
 最後にゴリモンがこちらに気づいてない事を横目で確認しようとチラリと振り返る。
 狼一は全力疾走しかけた足を止めた。

 ゴリモンが地を揺らしながら歩くその先に人影が見える。
 僅かな電灯の光が灯る暗闇の中は目を凝らして見るとそこには少女が立っていた。 否、少女と呼ぶにはまだ歳が若い。6,7歳くらいの幼女だ。
 妥協を許さないほどに、幼女は幼女であって幼女でしかなかった。
 ゴリモンの事が見えていないのか、それとも凶悪な姿への恐怖からなのか、幼い顔は無表情でゴリモンが向かってくる方向をただ見ている。
 一歩一歩ゴリモンが幼女へと近づいている。もし、ゴリモンが幼女に敵対心を抱いていなくても、このままではゴリモンと衝突し只では済まないだろう。
 瞬く間に幼女へと近づき、あと一歩、その足を運べば幼女に到達する。
 幼女は未だに動く気配を見せない。
 そしてゴリモンが足を上げる。

「アグモン!」

「ベビーフレイム!!」

 狼一は木から飛び出し、叫ぶ。
 その瞬間、まるで彼の心を読んでいたかのように、アグモンがデジヴァイスから現れ火玉を口から咆哮した。
 ベビーフレイムは地に落下しゴリモンまで到達しなかったが、衝撃は距離があったゴリモンの最後の一歩を止めるには十分であった。
 ゴリモンは即座に狼一とアグモンのいる方を振り左手の大砲を光らせる。

「エネルギーカノン!」

 大砲からベビーフレイムより明らかに強力そうに見える光の球体が爆裂音と共に発射される。しかし、距離があったため狼一とアグモンはなんとか避けきる事が出来た。球体は先程まで狼一の隠れていた木を薙ぎ倒す。

「流石に子供を差し置いて逃げるほど馬鹿にはなれねぇよな……」

 ゴリモンのパワーの強さに恐怖を覚えながらも狼一は呟く。



 狼一達の存在はやはりゴリモンには気づかれていなかったらしく、突然の出現にその場の空気が凍てつき、もともとあった静寂がさらに大きくなったような気がした。

「さて、どうするか」

 何も考えずに飛び出した狼一がふと呟いた瞬間、沈黙は破られた。
 ゴリモンがアグモン目掛けて駆けてくる。
 その巨体からも、狼一の抱いていた動物のゴリラのイメージからも想像が出来ないほどに、ゴリモンのスピードは速く、気付いた時に狼一のすぐ目先まで間合いをとられる。
 
「速っ……!!」

ゴリモンの大砲がアグモンに向けられた。

「エネルギーカノン!」

 今度は至近距離で。
 確実にアグモンにエネルギー弾が直撃する。
 
「アグモン!大丈夫かよ!?」
 
 いきなり痛手を負ったアグモンであったが、狼一の声でフラフラと体を揺らしながらもなんとか立ち上がる。しかし、体はそのエネルギー弾の直撃により、節々にダメージの跡が残る。
 間髪入れずに今度はゴリモンの右手が思い切りアグモン目掛けて振り落とされた。
 鈍い音ともに倒れたアグモンが零距離で地上と激突し、小さくバウンドする。
 前後から体をプレスされたアグモンはぐはっと声を漏らしたがそれでも体を上げようと、手を地面につけるが、どうやら今の攻撃のダメージで立ち上がるのも困難になってきていた。
 立ち上がり間際に更に一撃。
 アグモンは放物線を描いて飛んだ。
 ゴリモンがアグモンの腹部を思い切り殴打したのだ。

「アグモン!!」

 アグモンが立ち上がる間もなく、ゴリモンは追撃の一手をいれようと右手を振り上げる。

「おい! お前じゃ歯が立たない相手だ!」

「ここでワシがひいたら今度はお前が傷つく……そんな事は……させないっ!!」

 一発。
 また一発、とアグモンはされるがままに強打を受け、鈍い音と弱々しい咆哮が静かな森に響きわたる。

「チッ……糞野郎が」

 戦闘の中、自分の所有物と考える者がここまで一方的に痛めつけられる姿は狼一の胸糞を悪くした。
 どうやらそろそろ留めを差すつもりであるのだろう、ゴリモンはゆっくりと左手の大砲をアグモンに標準を合し、構える。
 大砲の中に青白い光が蓄積されていく。
 ゴリラは人間以外の生物で唯一笑う生物だ。と覚えがあったが、狼一の目に映るソイツの表情は恐ろしく冷酷無慙であった。
 たんまりと充電を終え、大砲から最初の一撃目よりも大きい爆発音と共にエネルギー弾が発射される。



 エネルギーカノンの空気が震えるような衝撃波はあたりに噴煙を上げさせた。
 煙はその場のものをほとんど見えなくしたが、それがなくなった時、ゴリモンが見るものはアグモンの無残な骸であることを確信した。
 そして間もなく微風に噴煙が運ばれ、霞みがとれていく。
 ゴリモンは目を疑う。そして気付いた。
 アグモンも人間もその場から存在を消していたという事実は,このエネルギーカノンで消し去ったのではなく、獲物を逃したという事だと。



 目的は果たした。
 入り組む木々達を器用に潜り抜けながら狼一は先の戦闘を思い出す。
 ゴリモンの大砲からエネルギー弾が発射される直前に、驚くべき動態視力で彼はアグモンをデジヴァイスに収納した。その後ゴリモンの目を欺き、煙に巻かれたその空間をなんとか脱したのである。
 戦闘の本質は目の前で幼女に被害が出る事を防ぐ事であり、ゴリモンを倒す事ではない。攻撃を仕掛け、幼女をゴリモンの視界から外す事が出来た。
 しかし、あそこまで本気でアグモンを抹殺しようとした奴だ。恐らく血眼で俺達を追ってくるだろう。しかしそこまでの被害は気にしちゃいられない。このまま交番まで走り抜け、あとの事は警官にでもなんにでも任せておけばいいだろう。
 そんな考えを巡らせながら、仮にも陸上部所属という肩書きを腐らせない俊足で森を駆け抜ける。
 パキパキと小枝を踏み鳴らす音が、一歩一歩現実離れしたあの空間から狼一の心身を共に遠ざかっていくのを実感させてくれた。
 そういえば今日は金曜日で明日は土曜。特に予定なんてないが、折角去年から始まった毎週末まるまるの連休だ。
 なるべく人気がないところに行くのは控えよう。
 それ以前にコイツ──アグモンの容態は大丈夫なのだろうか。先日のメラモンがあっけなく消滅した様を見ている狼一は、デジタル・モンスターは通常の生物動揺に場合によっては重傷、後に消滅する事を理解していた。
 アグモンが目の前に現れてから二度目の命の危険だ。コイツの所為でこんな目にあっているんじゃないかと狼一は考えていた。しかしコイツは──、この生物は──、自分のために命を張ってこんなにボロボロになるまで戦った。
 特に予定のない休日はとりあえず、動物病院にでも連れていくか……。
 そんな明日の予定を立てながら狼一はさらに強く地面を蹴り森からの脱出を急ぐ。

 その直後であった。



 人間の祖先であるといわれる霊長類を人間はどこか甘んじているところがあったのかもしれない。
 実際、人間とゴリラが真面目に百mダッシュをしたところで、人間の勝利は絶望的だ。
 それらが元となっているゴリモンが人間に追いつけない理由がない。
 加えてゴリモンは嗅覚にも自信があった。
 狼一達の匂いはもう覚えている。
 その匂いを辿り、ゴリモンは足に両腕を加え四足をフル稼働させ、猛スピードで走りだし、追跡を開始した。
 そのでかい図体の走行を妨げる木々達は、たちまち強烈なタックルによってなぎ倒されていく。まるで、獲物を逃した事によって生まれた鬱憤を晴らすように。
 倒された大木は次々に倒れ、衝撃音を発する。
 そして何十回目かの轟音が鳴り響いた時、怒りに満ちたゴリモンの目はついに、獲物を捕えようとしていた。



 狼一の首から腰までまっすぐ一直線に恐怖の戦慄が走る。

「これはマジで洒落にならねぇ」

 彼の背中が聞いたソレは鈍い音の後に木が倒れる衝撃音。
 そして明らかに二足歩行ではなく腕を使った軽やかな四足走行のリズム。

 ──自分達を追ってきたゴリモンが今まさに標的に追いつこうとしている。


 あまりの恐怖に狼一はなぜだかうっかり笑いそうになったが、やっとの思いで自分の顔に抑制を効かす。
 せめてもの目晦ましと木々が入り組んだ場所を走っていた狼一であったが、恐らくそんなに効果は為さなかったのだろう。
 ゴリモンによって倒されているであろう大木の衝撃音。
 その音は直接ゴリモンの姿を見ない代わりに、狼一の聴覚から恐怖を倍増しながら、ご丁寧に接近をわかりやすく代弁してくれた。
 どうやらこの方法で相当なスピードを以ってして迫ってきたらしく、音が確実に確認出来るようになったこの状況はチェックメイトといった状況であった。
 瞬く間にゴリモンは狼一のすぐ背後に追いつき、足音、荒い野生の鼻息その他もろもろが一馬身以下に迫る。
 ダッシュの疲れからなのか、恐怖からなのか、全く識別不能なほどに溢れだした汗が狼一の頬をなぞり落ちたその時。

 全力疾走する狼一の右横から激しい外力が伝わる。パンといういっそ清々しい音の後、バランスを激しく崩した狼一の目にうつったのは自分のわき腹を思い切り平手打ちしたゴリモンの右手だった。

 これは……肋骨逝ったか?

 前のめりに宙に浮いた形になった狼一の体は、斜め方向に吹っ飛び、そのまま強制でんぐり返しをされた後、木に背中を思い切り強打した事によって停止した。
 無様な格好になった狼一は態勢を立て直す。
 そして直面する。
 ズシリと重い足音で自分に近づいてくるゴリモンの姿と。

「グルルルル……」

 怒りに満ちたゴリモンの表情。
 絶対絶命とは俺のために作られた言葉なのかもしれない。狼一は苦杯を喫した顔を歪ませる。

「見つかってしまったみたいじゃの」

「……!?」

 狼一の指示なしに、アグモンがデジヴァイスから出現し、その深いダメージを負った自らの体を狼一とゴリモンの間に立たせた。

「おい、お前何する気だ!?その体じゃ出てきても何も変わんねぇだろ!!」

「どうかの?」アグモンは苦しい笑みを浮かべる。「ベビーフレイム!!」

 放射された炎球は心なしか力弱そうに見える。そしてあっけなくゴリモンの左手の大砲によって弾き飛ばされた。
 今度は仕返しと言わんばかりにアグモンに急接近したゴリモンがアグモンを蹴り上げる。
 そして次は顔面に思い切り振りかぶったアッパーを喰らわす。

「グハッ……!」

 獲物を取り逃がした事に対する腹いせなのか、ゴリモンはエネルギー・カノンは発さず、先程のようにアグモンへのリンチを始めた。
 しかしアグモンは逃げる事をせずに殴られては向かっていき、蹴られてはゴリモンに向かっていく。

「いまのうちに逃げろ……狼一」

「な、なに言ってやがんだ……!!それにそんな事してもさっきみたいに追われてまた捕まるだけだ!!」

 狼一の表情は戸惑いを隠せずに漏れた。

「今度はさせない。これ以上お主を傷つけさせはしない」

どうして──どうして奴はここまでして俺を守る。

「あぁん?意味わかんねぇよ!なんでそんな死にそうになってまでそんな事するん……──」

 言いかけた途端、空気など全く読まずに、戦闘に茶々を入れられた事へ対する報復なのか、ゴリモンの右手による強打がアグモンを襲う。
ボロ雑巾のようにぶっ飛ばされても、アグモン起き上がる事をやめない。

「馬鹿かおめぇ!?マジでこのままだと死ぬぞ!?」

「言ったじゃろう?」

 アグモンは不敵な笑みを浮かべた。

「ワシはお主のパートナーデジモンだ。だから死んでも守りきる」

「……!!」



 パートナー──。
 死んでも守る──。
 たかが出会って数日の自分なんかを、奴から見たら異系の自分を。
 パートナーだから死んでも守る。

 狼一は驚愕し、考える。
 いまだかつて自分なんかに命を張った者はいただろうか。
 否だ。
 しかし思えばこうやって守れた事はあったかもしれない。あった。
 そして気付く。

 俺の人生、今まで意識、無意識の中であっても実はずっと、絶対的な何かに必ず守られて生きてきたんじゃないのか?
 
「……上等じゃねえか」




 狼一は足元にあった掌に収まるほどの石をすくい上げ、そのままゴリモン目掛けて振り被る。
 球技とは無縁の彼のフォームは決して華麗ではなかったが、運よくもゴリモンの頭部に直撃し、そして運よくもゴリモンの怒りに満ちたガン飛ばしをもらう。
 そんな表情には目もくれずに、狼一は先程のアグモン同様笑みを浮かべた。

「どうせくたばるなら、こんなダサい最後はご免だぜ……。俺も一緒に戦ってやるよアグモン!!」

 ▽

 アグモンの潜在意識の根底は『パートナーを守る』事で埋め尽くされており、パートナーが傷つくことは自分にとって死と同様の意味を持っていた。
 そのパートナーが自分と共に闘いそのリスクを大幅に上げる事などは以ての外である。
 しかしその一方で──パートナーである狼一がとったその行動に、アグモンは幸福感を味わってしまった。本来パートナーを守るはずの自分がパートナーが傷つく状況にひどく喜びを感じる。
 二つの感情が入り混じり、アグモンは動揺するが『パートナーを守る』という使命は守らなければならない。
 それが一体なぜなのか。自分には理解出来ないが、今、更にその気持ちが強くなったような気がしていた。
 しかし、今の前で起きている現状はとてもじゃないが良い状況とはいえない。
 まさに絶対絶命。
 こんな所で、やっと出会えたパートナー諸共消え去ってしまうのか。
 こんな雑魚モンスターに。

「……!?」

 アグモンの脳裏に強烈なデジャヴを味わったような、何かとてつもない違和感が横切る。

 やっと出会えたパートナー?
 こんな雑魚モンスター……?



 片や15歳の不良少年とその隣のぼろぼろのダメージを負った大蜥蜴。
 片やどでかく筋肉質な上、大砲まで備えつけられた巨大ゴリラ。
 勝負の行方は明確に見える二匹が、まるでお互い長年の因縁があったかの如く、激しく睨み合い、対峙する。
 
 その時──突如として狼一の腰に備えつけられていたデジヴァイスが眩い光を発する。
 暗所に目が慣れていた所為かその場にいた全員が光から目を背ける形となった。

 何事かと、狼一は薄目でデジヴァイスを手に持つ。
 するとその画面上に次々とアルファベットの文字がスクロールされていき、狼一はそれを目で追っていく。

 【Update.........Confirmation】

 【Ver.Roichi Yusa.........】

「なんだこれ……? アップデー……と?俺の名前……?」

 スクロールは止まらない。

 【Synchronize......Agumon......】

 【......................................................................................................】

 やがて、画面はスクロールを止め、何も表示されなくなった。

「こ……壊れた?」

 少しすると、デジヴァイスは再び文字を写しだし、最後に画面に映し出されたそのアルファベット文字が狼一の目に止った。


【EVOLUTION...............................................Musyamon.】





 体に帯びる熱量、溢れんばかりのエネルギー――。
 全身に駆け巡る血液が沸騰しているかのような、得体の知れないパワーを狼一は感じた。 
 瞬間――“0”と“1”の記号がアグモンを覆い隠し、卵のような形になっていく。
 そして、上部から徐々にそのコーティングが零れ落ちていった。

 殻の中のものがあらわになる。

 本来そこにいるはずの大蜥蜴には似ても似つかない異形がそこにいた。
 虫食い状態となった紫色の羽、赤い甲冑。
 やたら派手なカラリーングに違和感を感じるも、その姿はまさしく――“武者”だ。

 ……mushamon(ムシャモン)。
 
 苦笑している余裕はない。アグモンが――変化した?
 狼一が瞠目する間もなく、一時の目の眩が晴れたゴリモンが、左腕を光らせた。
 大蜥蜴に比べて今の姿の方が強そうには見える。
 しかし、アレをまともに食らう理由はない。

 エネルギー弾が発射される。どう回避する――。狼一はムシャモンに視点を移した。

 パッと目に入るのは武者の代名詞とも言える得物――腰に備え付けられた“刀”に焦点を合わす。
 悩む時間は皆無だ。
 ムシャモンが刀に手を当てる。
 振り抜くと同時、放物線を描いた刃はエネルギー弾を割断した。
 両断された光球はムシャモンの左右に飛散し、地面へ衝突。

 必殺技を突破されたゴリモンは即座にムシャモンとの、間合いを詰める。
 脇を締め腕を引く。
 拳が迫る。
 しかしこの至近距離――ムシャモンは刀を振りかざす。
 それよりも早く、ゴリモンの右拳の衝突。ムシャモンの横っ腹を殴る。
 衝撃で体が横に仰け反ると同時、

「グ……ハッ……!」

 ムシャモンは気管の圧迫で一瞬息が止まる。
 先ほどの、刀を振り抜いた時の感覚然り。狼一は不思議な感覚に襲われた。
 目の前で見た衝撃よりは弱いものの、パンチによって空気を奪われた感覚と、腹部への確実な痛覚。

 なんだ……この感覚は。
 もしや――。

 態勢を立て直し、刀でゴリモンに切り込もうとするも、すかさずゴリモンは後ろにステップし間合いを開ける。巨体の割には身軽。
 この距離では幾ら振りかぶっても刀は空を切る。
 ならばこちらから向かうまでだ。
 狼一が思うよりも先にムシャモンは地を蹴る。

 同時、ゴリモンの殺気溢れた表情が目前に迫る。

 ムシャモンがゴリモンに近づいた。否――。
 “ゴリモンのほうから再びこちらに向かってきたのだ”。
 驚くべき早さで。

「なっ――」

 瞬間、強い熱を感じる。
 ――痛みだ。
 ゴリモンの拳が先程とは違うムシャモンの中央に位置する胸部を思い切り弾いた。骨髄反射の如く、ムシャモンは手に持つ刀を掲げるも空振り。ゴリモンは既に目前にはいない。
 しかしすぐさまゴリモンがまたこちらに向かってくる気配にムシャモンと狼一は気付く。
 飛んで火に入る夏の虫――ムシャモンは刀の先端をゴリモンに差し出す。ゴリモンが接近。
 まるで、人ごみの中を歩くが如く。極々当たり前の仕草のように――かわされた。
 今度はボディではなく、こめかみに強烈な拳を喰らった。ムシャモンの視界はフラッシュが焚かれたような閃光で白くなる。
 だが敵は追撃してくる事もなく、ゴリモンは既に目の前にはいない。

 “ヒットアンドアウェー”正しくそれであった。
 その戦法は狼一が記憶する限り、攻撃しては離れ、また攻撃しては離れの繰り返しにより、じょじょに相手の息の根を止めていくという技だ。
 鮮やかなスピードを持つだけに許される“殺り方”
 そして、あのパワー……。

「反則だろ」

 狼一はムシャモンがゴリモンに殴られたばかりのこめかみを手で押さえる。
 ゴリモンの拳が迫る。
 次もムシャモンの顔面を狙う。
 その様をハッキリと“狼一の目”が捕えた。
 ムシャモンは体を瞬時に竦め、間一髪その拳をかわす。
 ゴリモンは拍子抜けしたような表情を見せると、拳がヒットした時同様、ステップし間合いを空ける。
 どうやら攻撃の成功の有無に関わらずこの動作は行うようだ。

 しかしそんな発見は、今の狼一にとってはどうでもいい事であった。

 アグモンの形が変わったあと――狼一は確かにアグモンのパワーアップを感じた――のゴリモンの攻撃――。そして、ダメージ、ムシャモンの視点。
 一体どうしてこうなっているが皆目わからないが、そこにある紛れもない感覚、アグモンと自分との意思・感覚のシンクロ――。
 確固たる実感を狼一は味わう。
 ならば――。

 狼一は木々が密集した場所へ目を走らせる。即座にムシャモンがそこへ駆けだした。





 ゴリモンの追走。しかし、木々の中に潜み、ちょこまかと逃げ回るムシャモンに追い打ちをかけるには足場が足りない。
 しかしそこは最早ゴリモンのお家芸とも言えよう。木々のなぎ倒しでムシャモンを威嚇する。
 再び夜の公園に響く樹木と地面の衝突音。
 しかし一本倒したところで、ヒットアンドアウェーを円滑に実行出来るほどのスペースが出来るわけもない。
 しかも、こんな狭い空間で再び逃亡の姿勢をとったムシャモンに標準を合わせられない。心なしかゴリモンはムシャモンが先程よりフットワークが軽くなっているような気さえしていた。
 しかしそんなのは幻想でしかない、ゴリモンがムシャモンに追いつこうとしていた。
 目の前に迫った大木一本の向こう側に奴がいる。

 刹那――風切り音と聞き慣れた衝突音。
 大木の一刀両断。
 コンマ一秒前までゴリモンの目の前に存在していた木は、斜めに線を描きながら鮮やかに切り落とされ崩れた。





 先の場所から戦地に向かう狼一は、ムシャモンの“目”から見えた状況にニヤリと笑う。
 計画通り――。目だけではない。今の狼一は視界は勿論の事。ムシャモンと思考の共有もしている。
 狼一の考えた策、不意打ち――奇襲。ムシャモンは大木ごとゴリモンに切ってかかったのだ。
 刀の先方は予想以上のキレ味であったが、ゴリモンの本体を掠める事しか出来なかった。しかしキレが良いのは刀だけでない。狼一は汗を垂らし、不敵にほくそ笑む。

「これで良い――」



 

 突然の攻撃に思わずたじろいでいるゴリモンを目前にムシャモンは刀を翳す。
 再び対面――。ゴリモンがこちらに迫る。大木が切られた分の空いたスペースを有効活用され、ゴリモンの拳がムシャモンに直撃した。ムシャモンは顔を歪ませる。しかし、
 “少しの我慢だ……!”
 そこにいないはずの狼一の言葉がムシャモンの頭に木霊する。

「そうじゃな」

 やられぱなしという訳にはいかない。
 歪んだ顔に抑制をかけ、ムシャモンの攻撃。既に後方に下がったゴリモンに斬りかかる。
 かわされた――そのまま振り被ったムシャモンの刀が再び近くにあった木を切り落とす。
 すかさずゴリモンのカウンター――。抉られるような腹の痛みも厭わない。
 ムシャモンは刀を大振りする。
 当然、ゴリモンに命中する事はなく、彼の場所にあった木だけが倒れた。

 殴られる殴られる殴られる―――斬る斬る斬る。
 ただ殴られ、ムシャモンの刀は空振りし、木々だけを倒す。





 増していく痛覚を感じながら、不自然に開けた空間に狼一は辿りつく。
 気づけば残っていたのは、大量に斬り落とされ地面を埋めた木々。たび重なる攻撃により蓄積されたムシャモンへのダメージ。
 体がブロックのように崩れてるんじゃないかと錯覚するくらいの強烈な痛みがムシャモンと狼一を襲う。
 もうこれ以上は限界だ――。

 攻撃の連続で流石のゴリモンも動きに陰りが見えている。
 しかし、攻撃は止まる事はない。狼一の姿を一目見たかと思うと、ゴリモンは力を振り絞り、地面を蹴る――否?
 ゴリモンの足はムシャモンが斬り落とした地に広がる無数の木の一つを蹴った。
 幅十五センチはある樹木だ。当然、前に進めるわけがない。そのまま彼の足をスライドさせ、ゴリモンの体は宙を踊り、勢いよく“転倒した”
 疲労が溜まっていたゴリモン一瞬の不覚――そんな訳がない――!

「うおおおおおおぉおおおおお!!」

 ――この一瞬を狙っていた。狼一とムシャモンは最後の力を振り絞る。
 自分が罠にハマらないように、素早く、しかしあくまで慎重に、倒れた木々の上をバランス良く走る。
 ゴリモンは周囲に広がる木々に妨げれ起き上がるのが遅れる。そしてムシャモンは前に立つ――刀を自身の頭上に掲げ、

『斬り捨て――御免!!』

 思い切り振りかざす。文字通り、“一刀両断”
 大木と同じように、胴体が二つとなったゴリモンは白目を向き、攻撃の惰性でゴロゴロと転がる。
 絶息した後、切断部分から粒子化していき消滅した。





 狼一とムシャモンは、崩れるようにその場に倒れ込む。
 激痛で、一瞬本当に体がバラバラになったかと思ったが……生きてる。
 体を大の字にして、仰向けになっている狼一。隣を見てみると、同じ格好をした“アグモン”の姿があった。どうやらあの形態でいられるのは一時的なものらしい。
 二人は目を合せ、笑う。
 それが今の体力で出来る精一杯の感情表現であった。しかし、それだけで十分であった。思いがけぬ長い闘い。共同戦線の末――。

 (………お疲れ様さん)

 ――ゴリモンに、勝利したのだ。





 森林伐採、自然破壊。バッサバサに刈られてしまった森。

「流石にあれはまずいだろ」

 今頃すっかり野次馬騒ぎになっている事が安易に予想出来る。
 (どうなっていても、そんなの俺は知らねぇ)
 そんな風に、愚痴を洩らしながら、狼一はゴリモンとの死闘を演じた慶応公園へと足を運んだ。
 しかし幾ら凄惨な光景になっていたとしても、人を救った結果だ。多少の罪悪感はあれど、後悔はしていない。

 そして公園についた狼一の目の前に広がる光景。

「これは、どういう事だ……?」

 それは目を疑うような現実。
 いつもと変わらぬ日常。
 公園内に森を形成していた木々は一本として倒れてなどいない。
 “戦闘以前と変わらない森”。がそこにあった。






 日常の変化は加速する。










続く。
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